子どもたちと地球の未来のために 特定非営利活動法人(NPO)アース・エコ

活動報告ACTIVITY Report

岩手・宮城研修旅行報告(8) 大川小学校の悲劇

 東北大地震災害の爪痕は、「こんなところまで津波が押し寄せたのか」という驚きであった。あれから5年、町があったというところは、かさ上げの工事で山が削られ、ダンプカーが行きかっていた。
 さて石巻市立大川小学校があった地域は、住宅地はなくなり学校の廃墟にモニュメントが残るだけであった。山根という地域名のところだけど、学校と住宅地は、北上川の河川敷の平地であった。北上川をさかのぼってきた津波が堤防を越えて押し寄せたのだ。確かに裏手に山があったが、時の判断をいまさらとやかく言っても無意味であろう。復旧・復興の動きは見えない。住民の多くの方もなくなったという。生存できた方々はどこへ移動したのだろうか?
 災害地では大堤防や土地のかさ上げなどが提唱され大工事が行われていたが、大川小学校のあったところは、地域も学校も人はいなくなっていた。
 大堤防や、土地のかさ上げの工事を世界や歴史から見てみると、オランダの国土の保全のための大堤防やイタリアのベネチアの遠浅の海へのレバノン松の杭打ちによる街づくりを知ることができる。しかし、その後のメンテナンスの努力は並大抵のことではないと聞く。
 果たして、地球規模の大災害に、人間はどのように対応してきたのだろうか。古代からの人類の移動・拡張の歴史から見ると、食料を得るために、気候や交通なども考慮して住みやすいところを見つけての定住であったのではないだろうか。
 今、大災害に見舞われ、生活基盤を失った地に大堤防や地面のかさ上げなどの大工事が始まっていたが、地球規模の大災害には果たして通用するか疑問になった。
 復興・復旧のあり方について、現地の方々の賛否両論の声に接し、地球規模の大災害の大きさを改めて思うことだった。
大川小学校遺構
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